日記

 

最近、高校生くらいの頃に輪湖さんのことを知ってそこから数年間ずっと見ています。と言われることが多くなった。輪湖のことを追っているひとが、どう生きているのか何となく想像がつく。それは自分と重なるからだ。

お互いに二十歳を超えて、社会的に大人と呼ばれるような年齢になった。だけど、腕の傷は一生消えないだろうと医者から言われるし、精神科では精神薬は一生飲みつづけると思ってくださいと言われるし、大人になっても過去は続いている。ふつうに夜になったら涙がながれるし、朝になったら身体は重い。

昔みたいに頻繁にオーバードーズをしたり、泣き叫んだりしないのは、余計に惨めな気分になるだけだと知っているからだ。繊細でいるには社会の目は冷たく、「死にたい」という言葉も、説得力を失いつつある。だれか助けてと常に思う。

誰かの言葉や作品や優しさに救われたとか、世間的には全く関係なくて、ただただ死にたいと言いながら生きているひとと、それだけしか他人には見えないのがとても悔しい。過去のDMを遡ったり展示で久しぶりに会ったひとがいたり、自分も優しい言葉で随分と救われたことを思いだした。

ほんとにほんとに、自殺に成功したひとたちが羨ましい。美しいまま、儚いまま、綺麗に、人々に記憶されるから。自分が死んだら誰かにそう記憶されるかもしれない。死んでしまうことは羨ましい。だけど、自分が死んだら高校生くらいの頃から輪湖のことを見ていたひとたちは、ますます惨めな気持ちになるんじゃないかと思う。

あなたが自分を惨めに思わないように、代わりに輪湖が死にたいまま生きていてもいいと、照らしつづけるね。だから惨めな気持ちになりそうな時は輪湖を見ていてほしい。あなたをひとりにはしないから。そしていつか、輪湖のことが必要なくなるくらい幸せになってほしいな。