日記(7月30日~8月3日)

 

 

 

7月30日


洗濯物を干した頃から雷の音が訊こえはじめてきてしばらく雷は鳴っているのにぜんぜん雨は降る気配を感じなくて面白かった。またしばらくしたらちゃんと雨は降ってきた。洗濯物はびしゃびしゃになった。窓越しに見捨てた洗濯物を見ていたらなんだか恨めしそうな顔をしていた。助けてあげられなかった。


谷川電話の『恋人不死身説』を読んだ。

 


7月31日


ゴーヤチャンプルーを作った。ゴーヤを塩と砂糖で揉んでいるとき、なんでこんなことを…?と思った。ひどく苦いものをしょっぱくしてそれから砂糖で甘くして最後に醤油で味付けするの、ほんとになんなんだ。ゴーヤと豚肉と木綿豆腐と鶏卵を炒めるというのもなんだか食材にまとまりがない。もうすこしなんとかならないのか。ゴーヤチャンプルー食べたらめちゃくちゃ美味しかった。


エヴァンゲリオン旧劇を観た。

 


8月1日


やっぱり身体が汚れているような気持ちになる。断食したいけど、体力がないからすぐに倒れてしまいそうになる。せめてと思って最近半日断食をしている。仕事の都合上、完璧にはできないけど身体に半日なにもはいっていないということは浄化される感覚になる。ここまで書いたけど嘘です。半日断食したところであまり身体の感覚や変化は感じませんでした。それよりちゃんと睡眠をとって自律神経を整えて、身体の感覚をリフレッシュさせたほうが有効だよなと思う。夜なにもない胃で睡眠薬が溶けているところを想像する。


『ロマンティックじゃない?』を観た。

 


8月2日


天狗いるかな〜と思って散歩した。天狗を探そうと思ったのに気がついたら小石を探していた。近所には川があってたまにいい石がある。読んでいた本に「て」の形の石を見つける話があったけど、「て」の形の石なんてないだろと思った。「く」の石ならたまに見かけた。石ってつまんないね。


アニメ版エヴァンゲリオンを観た。

 


8月3日


日々飛行機やロケットが飛んでいるから自分も空を飛ばなきゃいけないような気がする。惑星を買ってみたい。買ったら行ってみたい。自分だけの無人島でしばらく生活してみたいけど日光過敏だからたぶん暮らせないな。


今橋愛『O脚の膝』を読んだ。

日記(7月24日~7月29日)

 

 

7月24日


これからお風呂に入るというのに、乾いた唇にリップクリームを塗っていてなんなんだと思った。油と水の関係って面白いなと思う。料理にしてもひとの肌にしても脂のことよく知らない。水のことはすこし知っているような気がする。


読んでいる本で、白居易の「雪月花時最憶君」という詩が出てきて、いいねと思った。自分の心のなかでめちゃくちゃ再生されて高評価のボタンを何度も押した。825年の詩が千年以上の時を経てひとの心に響いているのって素晴らしいですね。


『いまドキ語訳越中万葉』を読んだ。

 


7月25日


働いている間は死ぬこととか考えなくて楽だなと思う。死ぬってだるいだろうから来世とかなくていいなって思う。


エンディングノート』を観た。

 


7月26日


ラーメンズ小林さんについて何か言おうとしてやめた。大体のことは言い尽くされているだろうし。ただ、ラーメンズがコント100本を無料で観られるようにしてその広告収入を災害復興支援にあてていたことずっと忘れないと思う。

あの頃は、日本では熊本地震や障害者施設での殺人事件、海外ではテロが多発したりイギリスのEU離脱したり、なんとなく社会的に鬱々した時期だったから、ラーメンズのネタをいつでもどこでも携帯で見られるということに希望を感じた記憶がある。


ラーメンズの話題になるといつも、ラーメンズは知っているけどラーメンは知らない情弱のおばさんという架空の人物が頭のなかに現れる。


三島由紀夫の『肉体の学校』を読んだ。

 


7月27日


彫り師のひとから勧められた水墨画のアーティストのひとがよくてインスタグラムを遡っていたら八十八ヶ所巡礼と仕事していていいな〜と思った。好きなアーティストと一緒に仕事できるのいいな〜。自分もちゃんとこつこつと作品を作っていこうという気持ちになった。こつこつ。骨骨。折れやすい骨とかって、もうすこし関節増やしたりすればいいのにって思う。


五所純子の『薬を食う女たち』を読んだ。

 


7月28日


あまり愚痴ったりしないんだけどこのごろ仕事がしんどくて上司に相談したら「身体をあたためて生活しましょう」と言われた。そうかもしれないと思った。病院という場で人間としてより先に看護師として扱われることに心地よさみたいなものを感じる。


『ANIMA』を観た。トムヨークの踊りがきもち悪すぎてよかった。

 


7月29日


仕事柄、気を張っていないと足下を見られることがあるから、つよくあろうつよくあろうと仕事しているけど、やさしい人間になりたい。むかし、もっと素直でいい人間だった気がする。

もう会うことがなくなった後輩が、最後に置いていった手紙に「輪湖さんは輪湖さんにしか助けられないひとがいると思います」と書いてあったことを思いだした。しばらく、その手紙を持ち歩いていたけどもうその手紙もなくなって記憶もだんだん薄くなっていく。働くってそうなのかもしれない。


大槻独舟の『雪間』を読んだ。

 

 

 

 

日記(7月19日~7月23日)

 

 

 

7月19日


最近散歩していると妊婦さんをよく見かけて目で追ってしまう。なんだか身篭っているひとのオーラとか感じてひとって発光するんだと思う。めでたいことだと思うけど、ひとが生まれてくることに否定的な考えもちょっと持っているから、後ろめたさを感じてしまう。

 

自分が生まれてこなかったら、代わりの誰かだったら母親も幸せだったかなとか想像している。


『CLIMAX』を観た。

 

 


7月20日


病院で働いているんだけど、外部の業者さんが何人か来ていた。丁寧に対応してくれていた業者のひとが、病棟の外で同業の新人っぽい子に「物を大事に扱えよ」「お前だよ、クソガキ」と怒鳴っていてとても悲しい気持ちになった。こんな世界にいてはいけないと思った。


好きなラジオで自分のメールが読まれていた。うれしい。

 

 


7月21日


新しいtattooを彫ってもらった。左腕の内側の自傷痕のあるところが空いていたから水墨画っぽい鳥を彫ってもらった。

 

むかしフォロワーのひとが自傷痕を消すためにレーザー手術をやったけど上手く消えなくて、皮膚をひっぱってひとつの傷にする手術を受けようかなと言っていた。傷を隠すために手術をするか上から刺青を彫るかどっちにしようか迷っていた。

 

たまにDMをしていたけど、Twitterの更新がいつの間にか途絶えていた。よく記憶を失ったり自殺未遂をしたりしていたから、どうなっているのか分からないけど、生きているとしたら元気だといいな。死んでいたら別に元気じゃなくていいな。


tattooかわいいからSNSに載せたりしたいけどもしも他人が自分と同じデザインのtattooを彫ったりしたらなんだか複雑だなと思っていつも躊躇してしまう。


オマル・ハイヤームの『ルバイヤット』を読んだ。

 

 

 


7月22日


ある詩の賞で自分の作品が「『2001年宇宙の旅』を思わせる哲学的な作品」と講評されていて、観たことないけど絶対に違うだろと思いながらNetflixで観てみたけど、やっぱり全然違かったから笑った。賞自体は落選していたから、どこかがだめだったんだと思う。

 

 


7月23日


新人賞のために俳句をいくつか書いた。Twitterにもいくつか俳句を投稿した。俳句に限らずだけど、新人賞は基本的に文学に明るい高齢のひとが評価していて、SNSは色々な年齢層の多様な感性のひとが読むものだから、使いわけたほうがいいなと思う。

 

「7月の俳句です」と投稿した俳句、いい作品だからみんな読んでね。


俳句って閉ざされた文化で、未来の見えなさを感じる。短歌は自由に口語で生活を読めばいいという、俵万智以降のニューウェーブの潮流のなか、大衆にも浸透して読むのも、はじめるのも敷居も低くなったように思う。それはきっといい側面もあまりよくない側面もあるけど。

 

他方で俳句はまず基本的に文語で書くというところで敷居が高い。自分は文語が好きだけど俳句に興味ないひとにとっては読みにくいし古くさいというだけかもしれない。俳句すきなんだけどな。


蝉がたくさん飛んでいたからぜんぶたべた。

 

 

 

日記

 

最近、高校生くらいの頃に輪湖さんのことを知ってそこから数年間ずっと見ています。と言われることが多くなった。輪湖のことを追っているひとが、どう生きているのか何となく想像がつく。それは自分と重なるからだ。

お互いに二十歳を超えて、社会的に大人と呼ばれるような年齢になった。だけど、腕の傷は一生消えないだろうと医者から言われるし、精神科では精神薬は一生飲みつづけると思ってくださいと言われるし、大人になっても過去は続いている。ふつうに夜になったら涙がながれるし、朝になったら身体は重い。

昔みたいに頻繁にオーバードーズをしたり、泣き叫んだりしないのは、余計に惨めな気分になるだけだと知っているからだ。繊細でいるには社会の目は冷たく、「死にたい」という言葉も、説得力を失いつつある。だれか助けてと常に思う。

誰かの言葉や作品や優しさに救われたとか、世間的には全く関係なくて、ただただ死にたいと言いながら生きているひとと、それだけしか他人には見えないのがとても悔しい。過去のDMを遡ったり展示で久しぶりに会ったひとがいたり、自分も優しい言葉で随分と救われたことを思いだした。

ほんとにほんとに、自殺に成功したひとたちが羨ましい。美しいまま、儚いまま、綺麗に、人々に記憶されるから。自分が死んだら誰かにそう記憶されるかもしれない。死んでしまうことは羨ましい。だけど、自分が死んだら高校生くらいの頃から輪湖のことを見ていたひとたちは、ますます惨めな気持ちになるんじゃないかと思う。

あなたが自分を惨めに思わないように、代わりに輪湖が死にたいまま生きていてもいいと、照らしつづけるね。だから惨めな気持ちになりそうな時は輪湖を見ていてほしい。あなたをひとりにはしないから。そしていつか、輪湖のことが必要なくなるくらい幸せになってほしいな。

日記(7月3日~7月7日)

 

7月3日

 

上野でクリムト展を見てきた。絵もだけど、この時期にこんな生活で精神状態でこの絵を描いたんだという人生が追えて楽しいね。

 

一緒に行ったひとがお酒を飲まないひとだから珈琲をガブ飲みした。帰りにデルフィニウムという花をもらった。もらってばかりだと悪いと思ったけどポケットを探っても煙草しかなかった。煙草はいらないと言われた。わたしは何も差しだすものを持っていない。ヘッセの『シッダー・ルタ』でこんな言葉があったような記憶がある。

 

モーパッサン『脂肪の塊』を読んだ。すごく良かったので、これはおすすめです。

 

7月4日

 

引っ越すから大きな本を売りにいった。詩集ふたつで800円になってすごいなと思った。画集はほとんどお金にならなくて不思議だった。

 

西荻窪に行った。ふらふらしていたらおじさんに声をかけられて、お酒を奢ってくれた。ただよりうまいお酒はないし、西荻窪はいい町だね。

 

転職の都合で、中央線沿いを離れてしまうのが寂しい。来月までに中央線沿いで行きたいところがあるひとは誘ってください。

 

村上龍の『空港にて』を読んだ。

 

7月6日

 

いま手をつけている長編小説を書き進めた。なんだか登山みたいだね。誰の賞賛も期待できず、ひとりで黙々と、高みを目指して書き続ける。新人賞があるからそれに送ってみようかな。

 

ひとに荷物を預けていたら新宿のゴールデン街で終電を逃した。荷物といっても文庫本と栞だけなんだけど。結局朝までお酒を飲み続けていくらか奢ってもらった。ただよりうまいお酒はないね。

 

7月7日

 

家に着いたのが7時くらいで昼まで寝てしまった。

 

誰かに愛されたいと思って泣いてしまった。さみしいってよくないね。そういえば、インドでイエティの足跡が発見されたというニュースが5月にあっていまのところ令和でいちばん良いニュースだと思っている。UMAの目撃情報などあったら教えてください。

 

短冊に「すべて優しい幻覚になりますように」と書いた。

 

永井均の『倫理とは何か』を読んだ。倫理とは何かが分かったとしても道徳的な人間になれるわけではないということに途中で気がついた。

日記(6月27日~7月2日)

 

 

6月27日

 

カフェオレばかり飲んでいるから血液がカフェインとミルクになっている。そういえば母親がカフェイン中毒だったから母乳にカフェインが含まれていたと思う。

 

今回の日記、一度書いてすべて消えたから書き直していて、内容が薄くなってるけど許してほしい。たしかこの日にごく短い小説をふたつ書いたような気がする。

 

三田誠広いちご同盟」を読んだ。

 

6月28日

 

林芙美子の命日だった。明治から昭和にかけての作家で最も好きな作家のひとりだ。不幸も文章で美しいものになるとか、最低な人間でも筆を持てば輝けるとか、大事なことは彼女に教わった。

 

何もかも嫌になって失踪して新宿のビルの屋上でアルコールと精神薬で朦朧としながら「落ちれば楽になる」と幻聴が聴こえたりしていた時期に、寒空の下、林芙美子の『放浪記』を読んでもう少しだけ書いてみたいものがあると思った。文学に救われたなんて青くさい言葉だけど本当にそう感じている。

 

親からもらった大切な身体なのでかわいいタトゥーを彫ってもらった。なんだかんだで増えてきたからしばらくは我慢しようと思う。

 

6月30日

 

「真夜中のプール」という短い小説をツイッターに載せた。人生に疲れたお姉さんがプールでサメを眺めている小説です。疲れてぼんやりしたい時に読んでほしい。

 

蕎麦を茹でたあとに麺つゆを切らしていたことを思い出した。ドレッシングを何種類か試した。胡麻ドレッシングがよくて、ポン酢は最悪だった。イタリアンドレッシングも悪くはなかった。

 

宮古あずさ「ナースコール」を読んだ。

 

7月1日

 

長編小説をいま書いていて、長編ってしんどいなと思う。読んでほしいひとがいたから頑張っていたけど、その子にはもう読んでもらうことができなくなったから、いまは惰性で書いているようなところがある。

 

7月2日

 

吉祥寺のオデヲンで『スパイダーマン ファーフロムホーム』を観てきた。帰りにベローチェに寄ったら去年禁煙になったけどまた喫煙可に戻っていて3000回愛してるって叫んだ。(エンドゲームを観たひとには伝わります)

 

辺見庸の『自動起床装置』を読んだ。面白かった。村田喜代子の解説が見たことのないような形式でかなり良かった。

 

 

日記(6月24日~6月26日)

 

6月24日


お金がないね。この季節になると友達と缶ビール片手に散歩したりするのにちょうどいい気候で嬉しいな。


「海の見える」という小説をツイッターに載せた。優くて強いように見えてもぎりぎりのところで生きているひとがいてそういうひとに「無理しないで」とは言えなくて、かける言葉がどこにもなくて、そういう気持ちで書きました。直接的な表現ではないし、それが汲み取れなくて大丈夫だよ。自分で読み返してもあまりピンとこないし。ただ好きなように読んでほしい。この小説はこのひとに読んでほしいと思ったひとがいて、そのひとに読んでもらえてのでよかった。


引っ越しもするしすこしでもお金の足しにならないかと10枚くらい持っていたレコードを売りにいった。1000円程度にしかならなかった。当たり前だけど、自分の思い出とか大切にしてきたこととか関係なくて、クイーンのライブ盤だけがちょっと高く売れた。保存状態も悪かったし、値段に文句をつけるわけじゃなくて、ただ本当に悲しかったんだ。

デヴィッド・ボウイが死んだ日に『レッツ・ダンス』を聴いたこと、下北沢で好きな女の子とデートした時にのぞいたレコード屋Atoms for Peaceの新譜を見つけて「今の時代にレコードってトム・ヨークっぽいね」ってふたりで笑い合ったり(このレコードは綺麗だったのになぜか値段がつかなかった)、終電を逃した友達とビートルズの『サージェント・ペパーズ』を流して部屋で語り合ったり、そういう思い出がレコードにはいっぱい詰まっていた。

 

メスナー『ラインホルトメスナー 自伝』を読んだ。


6月25日


今年も上半期が終わるようなので2019上半期ベスト10冊をやります。とりあえず作品名と作者だけ羅列して、あとで作品についてすこし触れたブログを書こうかなと思っています。


・クリスティン・ヴァラ『ガブリエル・アンジェリコの恋』

アンデルセン『絵のない絵本』

堤中納言物語虫めづる姫君

・フリオ・リャマサーレス『黄色い雨』

・ファン・ルルフォ『燃える平原』

林芙美子『風琴と魚の町・清貧の書』

吉田加南子『波』

ジョン・アーヴィング『オウエンのために祈りを』

リルケ『若い詩人への手紙若い女性への手紙』

大江健三郎『死者の奢り・飼育』

 

串カツ田中に行った。キャンペーンで串カツがどれでも100円だった。平日の18時までハイボールが50円らしい。禁煙になってから絶対に許さないと思っていたけど完全に許した。だれか平日の昼間から開いてる串カツ田中ハイボール1000杯飲もうね。


6月26日

 

昨晩、睡眠薬を多めに飲んだら色々なひとに電話をかけて意味不明なことをずっと言っていて結局そのまま一睡もできず最悪な気分で1日をスタートさせたらフォロワーのひとに「私はあなたのおかげで家族やカウンセラーに自分の想いを話せるようになりました」と言われて泣いてしまった。

 

眠れなくて短い小説をみっつ書いた。

 

楽しいことがあった日も、悲しいことがあった日も、うまく眠れない日も、疲れきった日も、恋人ができた日も、恋人がいなくなった日も、自分は小説を書くよ。小説を書いていない自分は本当のカスだから。小説を書くことだけが自分の存在証明なんだ。元気でね。いつか君の元にも本になって届くといいな。

 

村上龍限りなく透明に近いブルー』を数年ぶりに再読した。